東京地方裁判所 昭和45年(合わ)55号 判決 1970年7月30日
主文
被告人を懲役三年に処する。
この裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
(被告人の経歴および犯行に至る経過)
被告人は、大分県別府市で生まれ、幼少時に父を失い、そのため五つ上の兄と共に母に連れられて大阪市内に移り、母子寮に入つたが、中学一年生の時に母にも病死され、その後同市内の養護施設「四恩学園」に兄(兄はその頃高校を卒業して同市内の大学に進学し、夜は右施設で事務員として働くことになつた)と共に移住し、高校三年生の頃、兄が大学を卒業して中学校の教師となつたことから、右四恩学園を出て同市内の親戚のもとに止宿し、昭和三八年三月同市夕陽丘高等学校を卒業し、同年四月からは同市内に下宿して、兄の世話で、昼間は大阪市の職員として旭区の福祉事務所に勤務し、夜間は大阪市立大学法学部(夜間部)に通学することになつたが、勉学と仕事を両立させることの困難さや仕事に行き詰りを感じたことから、昭和四〇年の初め頃結局、大学も福祉事務所も相次いでやめてしまい、その後は、大阪市の商事会社に勤めてみたものの不向であるということで長続きせず、新聞配達のアルバイトをしたり、鋼材店で働いたり、大阪府枚方市の飯場で人夫などをしたり、名古屋市に移つて豆腐屋の店員をするなど転々と職を変え、いずれも自分の意に合わない仕事ということで長続きせず、また、その間に兄とも連絡を断ち、昭和四三年三月初めには、職を求めて上京し、山谷の旅館に二、三泊した後、店員募集の貼紙を出していた東京都台東区浅草一丁目八番一号飲食店「だるま」を訪れて、同店支配人大類仁志(昭和一一年四月二六日生)と会い、しばらく以前から同店の住み込み店員となつていた小岩勝男(昭和一五年三月一〇日生)と共に同店に住み込みで働くこととした。しかしながら、ほどなく、被告人は、客扱いのことなどで大類にきつく叱責されたことなどから、大類およびその周辺の人たちに無言の威圧感を覚えるようになり、また同店での労働時間が長いなど労働条件についての不満もあつて、しばしば小岩と一緒に店をやめる話などをするようになつていた。そして、同年四月五日夜被告人としては初めての給料約一五〇〇〇円を受取つた後、大類に対して小岩と共に店をやめる話などを切り出したいと考えて、翌六日午前二時近く二人を近くの朝鮮料理店に誘つたが、そこでは大類を中心とした全く別の話題に終始し、結局店をやめる話については何も切り出せないまま、その飲食代金七、八千円を自分一人で支払い、三人で前記「だるま」に戻り、大類が二階四畳半間に入ると同じ頃に、二階八畳間の小岩と共同の居室に二人で入つた。そこで、被告人は小岩が大類に迎合的態度をとつたために店をやめる話を切り出せなかつたと考えて、小岩に不平を言つていたが、小岩は夜が遅いうえ、足が不自由であることもあつて、布団に横たわつたまま、前日もらつた給料の計算をしながら、店をやめたいのならば被告人一人でやめればよいだろうという趣旨の返事をするのみであつた。被告人は、前述の如く大類には常日頃威圧を感じていたが、こうなつた以上、自分一人でも不平不満について大類と談判しようという気持と、先の飲食代金を給料の少ない自分に全部払わせたうえ、自分に対しまともに応対すらしない小岩に対する憤満の念から同人を驚かしてやろうという意思が交錯し、酒の酔いも加わつて、とつさに、階下の調理場に赴き、肉切包丁と出刃包丁各一本即ち包丁二本を持つて、再び小岩のいる前記二階八畳間に至り、右包丁二本を小岩の枕元に置いた。
(罪となるべき事実)
右のような過程を経て、被告人は、
第一、昭和四三年四月六日午前三時四〇分頃、前記飲食店「だるま」八畳間において、前記小岩勝男が手に持つていた同人所有の現金一九、五〇〇円在中の給料袋を、手で奪い取り、そのまま同所から立去つてこれを窃取し、
第二、右の立ち去りの際、前記大類仁志が被告人らに対して早く就寝するよう注意するため廊下を隔てた隣室四畳半間から前記八畳間に来合わせたため、被告人としては、そのような場所に包丁などを持ち出したのを支配人に見られたことにうろたえ、同人の隙をみてその場を逃れようと考え、右八畳間出口付近で、その場に持つて来ていた前記の包丁二本中の肉切包丁一本(刃体の長さ約三〇センチメートル)を手に持つたまま同人の体のすぐ側にいきなり接近するなどの暴行を加え、その際驚いて左手で右包丁を掴んだ同人に対し加療約一〇日間を要する左手掌切創の傷害を負わせたものである。
(証拠の標目)<略>
(強盗致傷の訴因に対し、窃盗と傷害を認定した理由および弁護人の主張に対する判断)
(一) 本件の主たる訴因の要旨は「被告人は昭和四三年四月六日午前三時四〇分頃、飲食店「だるま」二階八畳間において、同店店員小岩勝男が現金一九、五〇〇円在中の給料袋を出して紙幣の勘定をしているのを見かけるや、にわかに、これを強取しようと企て、『よこせ』と申し向けながら、刃体の長さ三〇センチメートルの肉切包丁を突きつけて脅迫し、同人の反抗を抑圧し、同人の手にしていた右現金在中の給料袋を奪つてこれを強取し逃走しようとしたところ、同所に来合わせた同店支配人大類仁志に右犯行を覚知され、逮捕されようとするや、その逮捕を免かれ、財物の取還をふせぐため同人に対し『俺をなめるな、この野郎』と言いながら所携の肉切包丁で突きかかるなどの暴行を加えてその反抗を抑圧して逃走したが、その際、同人に対し加療約一〇日間を要する左手掌切創の傷害を負わせたものである」というにあり、法律的には刑法二三六条一項の強盗犯人がその現場において致傷行為にまで及んだというものであり、予備的訴因は、大略判示第一の如き窃盗を犯した被告人が主たる訴因の「同所に来合わせた」以降記載の所為に出たとするもので、刑法二三八条のいわゆる事後強盗の犯人による致傷行為があつたとするものであり、いずれも刑法二四〇条前段の強盗致傷罪の訴因である。
他方弁護人の犯罪の成否に関する主張の要旨は、
「1 被告人が小岩から給料袋をとりあげた行為はその際に暴行、脅迫行為をなしていないから、強取したとみることはできない。
2 給料袋は二人の面前で取つたり取りかえされたりしているのであるから、これを奪つた行為は窃盗という類型にはあてはまらない。
3 大類の傷害に関しては、被告人には「取還を拒ぎ、逮捕を免れる」という意思がなく、また被告人の行為は大類に対しては反抗抑圧の程度に達していず、給料をとりあげた行為と大類の傷害との間に関連はない。
4 本件は結局、恐喝罪と傷害罪を構成すると考える。」
というにある。
当裁判所は、検察官の主張に対し、弁護人の主張も充分考慮しつつ、その予備的訴因中の小岩に対する窃盗と大類に対する傷害とを切り離して別個に認定したわけであるが、以下順次その理由を説明する。
(二) 給料袋を強取したといえるか否かについて。
1 判示の如く被告人が包丁二本を持出したことおよび小岩から給料袋を奪つたこと自体は前掲各証拠により明らかに認められるところ、本件は冒頭に判示したような事情即ちかなりの期間起居を共にしていた者同士の間で発生した事件であり、普段おとなしい被告人の心の中に、前記の経歴からくる不満感のうえに大類や小岩に対する不平、不満が欝積した結果、その捌口を求めて敢行されたとも評しうる極めて偶発的な犯行であつて、通常見ず知らずの者に対して行なわれる単なる利欲犯とは著しくその趣を異にすると認められるので、被告人の心理の動き、それに伴う動作についてはとりわけ、木目細かくかつ慎重な判断が要請されると考えられる。
2 そこでまず第一に被告人が包丁二本を持ち出した動機についてみると、被告人の昭和四五年一月二二日付司法警察員に対する供述調書には「よし、どうせやめるんだ、それなら、さつきつかつた分でもとり返してやれと考え二階から階下へ降りたのです」との記載があり、前同日付(この点証人佐々木博章の当公判廷の供述により二三日の誤記であると認められる)検察官に対する供述調書には「私が小岩さんから金をとつてやれという気になつたのは調理場から包丁を持ち出して二階の部屋に上つてからです。……私は包丁で小岩さんや主人を脅してから店をやめるつもりだつたのです。」との記載があり、以下同年一月二九日付、二月九日付の検察官に対する各供述調書においても、小岩についてやや力点が置かれているけれども、ほぼ同趣旨の記載があり被告人は公判廷においては大類に対して不満を言いたいが、同人に対しては怖い感じを持つていたので、酔つたことも手伝つて一種の虚勢みたいなつもりで持つてきた旨の供述をなしている。これらのうち、一番最初の金員強取の意図であつた趣旨にとれる供述は、逮捕直後の精神的にかなり混乱状態にあり、しかも悪い事をしたという強い自責の念にかられていた時期に警察官に対してなされたもので、その後は一貫して否認しており、他の供述と比較すると信用性は最も低いといわざるをえず、以後これは除外して考察を進めることにする。被告人は逮捕以来、特に罪から逃れようという意思は見せずに、罪は罪として素直に認める態度をとつており、また被告人の心理の動きは朝鮮料理店での飲食の後にも、大類の子供の小学校入学祝に千円を渡していることや包丁を二本も持出していることなどのことがあつて、かなり激しく変転しているものと思われるが、事件後二年近く経過していることもあつてかその合理的な理由付けは被告人自身にも不可能なのではないかとさえ思われ、関係者による質問の角度や方法が異なることも手伝つてか、前記のようにニュアンスの異なる供述がなされているのもまた無理からぬものがあると考えられる。従つて、当裁判所としては前記列挙したうちのいずれかのみが真実であると明確に割り切るよりは、関係各証拠を綜合して認められる本件の背景に鑑み、それらは相互に矛盾するものではなく、被告人の心理の諸相の異なる側面を表現したものと考え、既に判示したような大類、小岩両名に対する感情の交錯したものと考えるのが、事柄の真相に近いのではないかと判断した。
3 次に小岩から給料袋を奪つた際の状況であるが、最初に包丁を二本とも小岩の枕元に置き「よこせ」とか「かせ」とか言いながら小岩の枕元にあつた給料袋をつかんだが、すぐに小岩にとり返され、再び被告人がこれを奪つたことは証拠上明らかに認められるが、その二度目に奪うときに、被告人が片手に包丁を持つて、小岩に突付けたか否か、そのとき被告人にそうする意思があつたか否かが正に問題である。この点の証拠の検討に入る前に、本件の審理経過について若干触れると、本件は当初、小岩からの給料袋の奪取を窃盗として、いわゆる事後強盗致傷として起訴されたものであり、第四回公判期日に至つて検察官によつて従前の訴因を予備的訴因とし、新たに前記の主たる訴因の追加がなされたものである。そして右訴因の追加は起訴当時の証拠にその後何か格別の新しい証拠が加わつた結果なされたものとは思われない。さて、この点に関しては先に引用した被告人の司法警察員および検察官(三通)に対する各供述調書にはいずれもこれらにつき肯定的な記載があり、小岩勝男の司法警察員に対する昭和四三年四月六日付供述調書中にも同人が被告人が肉切包丁を持つているのをみて刺されるかも知れないと感じた旨の記載がある。
まず、被告人の捜査官に対する供述調書についてみると、捜査官の力点の置きどころが異なるにつれて各部分についての精粗の差はあるが、包丁を小岩に示したか否かについてはその内容においてさしたる変化はないにもかかわらず、担当検察官において数回、とりわけ日曜日にまでわざわざ取調をした挙句、結局被告人が当初から強取の意思で給料袋を奪取したものとして起訴することはできないとの結論を出している。この点について同検察官は当公判廷において証人として小岩が行先不明で結局これを直接取調べることができなかつたことがその理由である旨証言している。この言を同検察官が、被告人が同人の前で述べた内容は間違いないと確信できるが、その点の補強証拠に欠けることを重くみて、慎重な起訴をしたというように解することもできよう。しかし、他方、同人も証言において、被告人が犯意の点についての供述をなかなかしなかつたこと、包丁の点の供述があいまいだつたこと、これらの点についても追及的質問をしたこと等を認めており、被告人の当公判廷における供述がこれらの点についてあいまいであること、被告人の捜査官に対する供述調書の前掲の各記載部分は必ずしも充分に具体的でないことなどをも併せ考慮すると、被告人は結論として調書に記載されたことは本件に対する自責の念からやむなくこれを認めたものの、捜査官とりわけ検察官に対して実際なした供述には、当公判廷におけるそれとほぼ同様に、かなりあいまいかつ微妙なニュアンスがうかがえたのではないかとの推測を入れる余地もまた充分存するといえよう。従つて被告人の捜査官に対する供述調書中の前記記載部分を疑問の余地なきものとして文字通りに信用することはできないと判断する。また、前記の小岩の司法警察員に対する供述調書の前記記載部分は、同人がその後行先不明とのことで本件全証拠と対比させてみてもその信ぴよう性についての判断資料の不足に苦しまざるをえず、これについて弁護人により刑事訴訟法三二六条一項の同意があつたとはいえ、その信ぴよう性が正に争われているところであり、刑事訴訟法三二〇条の伝聞証拠排除の原則の趣旨を尊重して、これを断罪の資料とはしないこととする。そして被告人が小岩のすぐ側に包丁を二本とも投げ出したことの不合理性、そのことに驚いていてしかも足が不自由である同人から給料袋を奪うのに特に包丁で脅す必要は全くないと思われること、前述の包丁を持ち出すときの動機が複雑かつ不明確なものであることをも考慮すると被告人が給料袋を強取したことが合理的疑問の余地なく立証されたとは到底いうことができない。
(三) 給料袋についての窃盗罪の成否。
当公判廷において被告人は、小岩が自分のことにかまわずに、現金の計算ばかりしていることと、朝鮮料理店の勘定を自分一人に負担させたままにしていることに、立腹し、小岩の注意を自分に向けさせ、右の勘定を一部負担してもらう話などをするつもりはなかつた旨に受け取れる供述をしているが、この点は被告人が本件犯行時には店をやめる意図を持つていたと思われること、前記の勘定の支払いのため所持金が少なくなつたうえ、小岩との給料差にもかなりの不満を持つなど金銭面にかなり神経質になつていたと認められること、小岩に対する憎悪の念は相当なものであつたと思われること、奪つた後、給料袋を握つたまま、逃走し、かつその直後おでん屋で飲食した際にこれを費消し、その後返還について何ら気を配つてはいないと見受けられることなどの諸点に鑑みると、当初給料袋を奪つた段階でこれを全部自分のものにしてしまう意思があつたかどうかは疑問であるが、それを持去つて行つた過程においてはその全部について、不法領得の意思は偶発的なものとはいえあつたと充分に認めることができ、判示のとおり小岩の意思に反してその占有を侵害して、給料袋を自己の占有に移したものであつて、窃盗罪が成立することに格別の疑問はない。弁護人の主張2の理由付けは明らかでないが、被害者の面前で取つたり取り返されたりしたことが、窃盗罪成立の妨げになるとの法理は存しないので、右主張は明らかに理由がない。なお、弁護人は結論として給料袋の点については恐喝罪を主張するが、その根拠は何ら示されていない。当裁判所の当初からの強盗罪を否定した前記説明からすれば、当然恐喝罪もまた成立しないことになることは多言を要さないと思われる。
(四) 大類に対する傷害といわゆる事後強盗致傷の成否。
判示第二のとおり、被告人が窃盗を犯した後、その現場から逃れようとして大類に対して傷害を負わせたことは証拠上明らかであり、被告人が少なくとも刑法二三八条にいう「逮捕ヲ免レ」る意思の下に大類に対し判示の暴行を加えたということは疑問の余地がない。また大類において、被告人の窃盗の犯行を覚知していなかつたことが認められるが、そのことは事後強盗罪の成否自体に直接影響しないと解される(最判昭二二・一一・二九刑集一・四〇参照)。なお「財物ノ取還ヲ拒」ぐ意思をも、被告人は捜査段階において認めているが、それは理詰の追及の結果その場から逃げ出せば当然そうなるという意味で認めたものと思われ、前後の状況、や被告人の当公判廷での供述に照らすと、被告人は刃物を持つているのをみられたので、その場にそのまま居てはまずいと瞬間的に考えたのであろうと認められ、結果としてなるほど給料袋の取還を免れているが、この点の意思をさほど重視することは相当でない。
次に、本件について、被告人の暴行、脅迫の程度をみると、まず肉切包丁は別の意図ですでに手元に持つて来ていたものであつて、逃走に際し大類に暴行、脅迫するために用意したものでないこと、被告人は他の点については捜査官に認める供述をしているが、大類に傷害を負わせたことについては終始一貫して全く知らなかつたし、また傷つける意思もなかつた旨供述していること、証人大類仁志の当公判廷での供述中に「私はびつくりしました。ただ恐怖感というものはなかつたです。」「私が結局それをつかまえようとしたようなあれで、手を出したのを私のあれで引いたんじやないかと思いますけど」とあり、更に同人が負傷したのは部屋の出口に遠い隅ではなくて出口に割合に近い位置であつた趣旨の部分もあること、等を考慮すると、判示第二のように刃物を持つている被告人をみて驚いている大類の隙をついてただひたすらその場から脱出しようとしたもので、積極的に大類に対して刃物をつきつけてその反抗を抑圧する意思はなかつたものと認めるのが相当だと思われ、また被告人がその際「俺をなめるな、この野郎」などと云つたことは認められるが、これは前述したとおりの大類に対する不平、不満の発露として出た、いわば店をやめるについての捨台詞ともいうべきもので、これまた積極的に大類の反抗を抑圧する意図に出たものではないと考える余地は多分に残されている。なお前述の小岩の司法警察員に対する供述調書には被告人が大類に刃物を振り回して向つて行つた旨の記載があるが、これも信ぴよう性に疑問があり、前述と同様の理由により断罪の資料とはしないこととする。そして他に暴行、脅迫を認めるに足る証拠はない。そこで右に認定した通りの意思に基づく、判示第二の程度の暴行は、被告人と被害者大類との従来の関係、本件犯行現場である八畳間からの一階に通じる出口は一つのみでそれは半間ばかりの広さであること、給料袋を奪われた小岩からは一声も発せられていないこと、および本件は全体として前述したような被告人の被害者二名に対する複雑な感情の変化を背景として行われたものであることなど一切の附随事情をも考慮に入れて考えた時、果して事後強盗を成立せしめるに足りるものであろうかということが問題となる。事後強盗も法定刑は強盗罪と全く同じであり、傷害の結果が伴つたときも強盗罪の場合と全く同じに扱われることを考えると、事後強盗における暴行、脅迫は通常の強盗罪におけるそれと同程度のものでなければならないと解されており、いいかえるならば窃盗と併せて刑法的に評価した場合、強盗罪と同程度に類型的に強度の違法性を帯びているとみうるものでなければならず、従つて通常の強盗罪の場合とはその目的とするところが異なることから程度の差はあるにせよ、ある程度の積極性を帯びたものでなければならないと解すべきである。また違法性の程度の判断には結果無価値と共に行為無価値も重視されねばならないところから、その判断にあたつては、現に生じた結果のみを過大視してはならず、行為者の意思面も充分に検討する必要があるといわねばならない。特に致傷に及んだ場合最低刑でも懲役七年に及ぶということを考慮しつつ、当初から単なる利欲のため犯されたものとは認められない本件のような事案においては、その点の検討は綿密かつ慎重になされねばならないと思われる。以上の基準に照して前記認定の本件暴行自体とその前後のいきさつをみると、傷害の結果はかなり重大ではあるが、本件暴行は、本件を全体的にみて通常の強盗致傷罪と同視することを相当と考えさせる程度に、大類に対して積極的に反抗抑圧の意思に出たものであるとは認められない。従つて本件の傷害は窃盗と結合して強盗致傷を構成するとは評することはできずこの点窃盗とは別個に、傷害罪として認定した次第である。
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は刑法二三五条に、判示第二の所為は同法二〇四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、判示第二の罪につき懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い第一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内において、被告人を懲役三年に処し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判が確定した日から五年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して全部被告人の負担とする。
(量刑の事情)
本件犯行自体についてはすでにみたように当裁判所は窃盗罪と傷害罪に認定したが、強盗傷人罪とまさに紙一重ともいうべき事案であり、特に刃体の長さが約三〇センチメートルもある包丁を使用している点、足の不自由な小岩から一カ月分の給料をそつくりそのまま取り上げてこれを自己の飲食等に費消してしまつたこと、予期せぬ結果とはいえ、大類に対し相当の傷害を負わせたこと、犯行後直ちに逃走して所在をくらまし、昭和四五年一月二一日に逮捕されるまで約一年一〇カ月間もの間被告人においては何ら慰謝や被害弁償の措置に出ていないことなどを考えると、被告人の刑責は重かつ大であるといわねばならない。
しかしながら、本件事案そのものについては法的評価に関連してすでに詳しくみたとおりであるし、被告人の経歴や本件犯行に至るいきさつについては被告人に同情すべき点が少なくない。被告人は生来、潔癖で、正義感に富み、他人への思いやり豊かな青年であると見受けられ、本件犯行後横浜市中区寿町に行き港湾労務に従事しつつ、地域社会のために自治会結成活動に取り組んで、その同志や住民の信頼を集め、山谷に移住後も同様に住民活動に取り組んでいたものであり、現在の被告人に対してその過程で知り合つた人々や肩書住所地の笹間テツなど多くの人々が暖かい援助の手をさしのべ、その更生と将来の活躍を期待していることがうかがわれる。また、幼少時より被告人と共に逆境を乗りこえつつ被告人のいわば親代りともいうべき役を果してきた兄が、事件発生後直ちに弁償等に意を用い、被告人の検挙後は、その住居地である兵庫県からたびたび上京していろいろと被告人の世話をし、当公判廷において今後の監督を固く誓つている。そして被告人は本件について充分に反省悔悟し、更生を誓つており、これまで何らの前科前歴がないことやその性格、前記の人々の指導監督が期待できることを考えると再犯の可能性はほとんど皆無に等しいと思われる。
なお被告人は大類に対し治療費等として一万円を支払い、同人も本件につき被告人を宥恕していること、更に、小岩についても居所が判明次第弁償の努力をする旨述べていることが認められる。
当裁判所は、以上の他、すべての事情を勘案した結果、本件については事案の性質上懲役三年の刑はやむをえないと考えるが、その刑の執行を五年間猶予するのが相当だと考えた。
よつて主文の通り判決する。(新関雅夫 高木実 安広文夫)